フードバンクの周辺2015①

駅で夜を過ごす行路者
駅で夜を過ごす行路者

何年か前まで建設会社で働いていた人の話です。

 工事責任者として現場を持つと、作業を行う下請会社と契約して、その会社の社長や作業員と現場を行うことが多かった。

 作業員の5人の内1人ぐらい言うことをきかないとか、理解力が低い人がいたような気がする。

 その人を、下請けの社長は、怒鳴りながら使っていた。しかし、その人を解雇することもなく、仕事から離れても、私生活の面倒も見ていたりしていた。地縁や血縁、そして善意で広い意味でのセーフティーネットが機能していた。時代が流れ、社会全体に余裕がなくなり、そのような光景が少なくなってしまった。

 効率を求めないと会社経営も成り立たなくなり、無駄の排除を行うと、能力の低い者や、面倒くさい人達が排除されていくことになる。建設業界に限らず、この現象は社会全体に広まったと思います。

 現在フードバンクを運営していると、その排除された人達が食品を求めて訪問してくる人がとても多い。何の確証もなく、都道府県をまたがり仕事を求め移動しています。福島に除染の仕事があるとか、宇都宮は仕事がありそうだ、というイメージで、社会福祉協議会などで数百円を借りて電車で移動している。数百円のお金で行けるところまで行って、その先でまたお金を借りて電車に乗ることを繰り返し、東北から九州へ移動していく人もいる。

 その人たちの事情を聞き取ると、多くの人が理解力が低かったり、人間関係が苦手だったり、障害を持っている、困ったとか面倒くさい人と呼ばれる人たちである。

 流れ者になってしまうと、更に他人との接触も少なくなり、行政や世間から居ないもの扱いになってしまってしまう。困っているのに、助けてくれる人もいないので、孤立してどうしたらよいのかわからない状態になってしまう。

 とちぎVネットにおいても、人や金銭的資源があるわけではないので、そのような人達に何ができるのかというと、少しばかりの食品を渡すという絆創膏的役割しか果たせないのが実状だ。排除しても、その人たちを救済するのは、生活保護などの税金となってしまう。排除してしまうのではなく、助け合いによりその人を包み込める社会にした方が良いのだが、自己責任社会の今、その道のりはとても長いのかもしれません。

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