フードバンクの周辺2014②…「どうしてこうなったんだか、さっぱりわからん」路上生活のSさん

困窮者炊出し&生活相談
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「腰が痛くて、今日は缶回収いけないんだ」

 商都宇都宮の夜。駅前はネオンが光り騒々しい。そこに田川が流れている。橋の上を多くの人が行きかう中、その下では数多くの段ボールハウスが並ぶ。

「今の全財産は340円。昨日から腰が痛くて、缶回収に行けないんだ。だから、そこの自販機でたばこも買えないよ」。Sさんはうつむきながら語った。その日、食べたものは私が持って行った野菜サラダのみ。衛生環境も悪く、入り口には蜘蛛の巣がありウジもわいている。「こんなはずじゃなかったんだ。昔は全国でいろいろな建築工事をしたんだ。どうしてこうなったかさっぱりわからん」と顔をしかめた。

 

家族崩壊 ⇒ドヤ街 ⇒日銭稼いでパチンコ・酒

 富山生まれで15歳で集団就職で上京。建設会社に就職した。日本の次世代を担う金の卵で、厳しいながらも大切にされたという。23歳で結婚、すぐに息子が生まれた。「その頃が、最も幸せだった」と振り返る。

 しかし、幸せは長くは続かなかった。

「あのころは仕事ばっかりで、家庭のことはかえりみなかった」Sさんが言うように、妻子は愛想をつかし実家の秋田に帰ってしまってしまい、その後は音信不通。その後、円高不況のあおりで勤め先の建設会社は倒産。パチンコで貯金がほぼなかったSさんは家賃を滞納して、住まいを失った。

 その後、横浜の寿町のどや街を本拠地に、日雇いの仕事をして食いつないだ。

 世はバブル。再就職の道もあったのでは、との問いに「俺みたいな学歴のないやつは社会からお荷物扱いさ」。

 社会からはじき出され、行き場をなくした1人の男。日銭を稼いではパチンコに使い、金はたまらない。本拠地も、寿町から名古屋、山谷から釜ヶ崎まで全国のどや街を転々とした。唯一の楽しみのパチンコはやめられず、孤独感から酒量も増え、糖尿病にもなった。Sさんは言う。「死にたいと思ったことは何度もある。しかし人間はなかなか死ねないものよ」

 

「信用できるものがないから一人で生きていくんだ」

  宇都宮に来て2年。フードバンクがすぐに発見し、週に最低1回は弁当を配達しながら健康状態の確認をしている。糖尿病は悪化し歩くこともおぼつかない。しかし国や市の援助を受けるつもりは全くないという。「俺は仕事や家族、そしてすべてのものを失った。信用できるものがないから1人で生きていくんだ。弁当の配達もありがたいが、これ以上あんたらの言うことを聞くつもりもない」

 このSさんを、そこまで言うなら勝手に死んでゆけと見放すことは簡単だ。しかし、その前にSさんの心の傷と孤独感を癒し、社会の輪の中に復帰させることは、出来ないものだろうか。(坂本)

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